少年期

 

 

生まれる前はどうだったのか?

死んだらどうなるのか?

5歳の頃の私は敬虔なクリスチャンだった祖母に訊ねました。

祖母は『生まれる前も死んだ後も何もないの 無なの』

と答えました。

5歳の私は『おばあちゃん わからないよ ないことないよ あったよ』

祖母はかなくなに『無いものは無いの』と言い切ったのでした。

私はどうしても納得いかなくて父や母や祖父や叔父に

『おばあちゃんは無いっていうんだけどあるよね~』

 

と周りの大人たちに問いただしました。

でも 誰も納得する答えは出してくれませんでした。

幼少期のこの出来事が自分の原型となったのです。

 
私は教育者の家庭に生まれ育ちました。

父は高校の教師で同居していた父方の祖父母も元小中学校の教師でした。

祖父の教え子が私の小中学校に先生としていたこともあり何かと特別扱いをされていました。

そして教師の息子ということがずっと重荷に感じていました。

教師の息子というと成績が良くて当り前に思われ、

また品行方正でなければいけないと型にはまった生活を余儀なくされました。

それでも小学生の頃はその環境に適応できてはいたのでしたが、

中学に入ると自分の環境がどうも窮屈で何かがおかしいと思うようになったのでした。

要は自我がはっきりと目覚めてきたからだったのですが・・・

 
中学一年の初めの頃 私のクラスでは3分間スピーチが一度ありました。

テーマは自由で何を話しても良かったのでしたが、私は何を話していいのかわかりませんでした。

発表の前夜話すことを考えても何も浮かばなかったのです。

私はその時自分はなんてつまらない人間なんだろうと思ったのでした。

当日 出席番号順での発表でした。

私は4番目でした。

私の前の3人はなんとかこんとか3分間話しました。

でも私は最初に「昨日色々考えたんですが話すことはありません」

と真面目に言ったのでしたが・・・

担任の先生はふざけてると思い怒り出しました。

そして一番最後にもう一度話すことを強いられたのでした。

でも話すことは・・・・・・(無)

その時に私は思ったのですが

『今までは話題性のない生き方だったからこれからは話題性のある生き方をしよう』

と心に誓ったのでした。

 

この時の私の誓いがその後の私の人生を大きく決定づけることになろうとは

当時の私は思うよしも無かったのでした。